茶番あふれる世の中にある本質をMBA人事と見抜く

ほんしつめがね

プロフィール

上京して16年でヘッドハンティングされるまで_学生編

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まずは自己紹介

はじめまして、ハルスケと言います。僕は地元の大分から18歳で離れ20歳で夢見た東京へ。

今はそこから16年が経って、これまで社会の荒波に揉まれに揉まれて、ブラック企業を6社以上経験してきました。

今は36歳になるので専門学校時代も含めると人生の47%はブラック企業と共に。そして、その荒野(ブラック企業)4社以上で平社員から課長まで昇格しているという雑草属性です。

そういった経験や気づきをこのブログでは綴っていこうと思います。

人生ってやっぱりよくわからない

人生経験は豊富というか特殊?な方だと思います。近い友人からは「怪我するってわかってて首突っ込むよねー笑」と言われる事があるくらいです。

そんなおかげで当初は、イラストを描きたくて上京したのになぜか今の仕事は人事をしている、しかも最近MBA(経営学修士)までとって周りから見ても何がしたいのか…(自分でもわからないことだらけ)。

そんな僕の社会人として人事として、過去から学んだ教訓や自分の考え方、よくわからない世の中に対して同じように悩む人がいるはずと思いブログを書き始めました。

何も考えていなかった中学時代

さて、僕は現在36歳ですが、13歳くらいからは1年単位で思い出があるくらい色々起きているなぁと、さきほどエクセルに時系列で書き起こしながら人生を振り返っていました。

小学校以下は正直記憶がそこまで鮮明ではないっていうのもありますが、長くなる(あと過疎化で廃校になっている)ので中学から振り返ってみると、なんと他薦で生徒会長に就任していました。

よく考えるとここが一番の分岐点になっている気が…。

この時点では人が好きとか嫌いとかはなかったけど、先輩は怖かったしその先輩がいる野球部には入る選択肢は無かった。

程なくして高校受験の季節、何を血迷ったかその時点での夢は「彼女と沖縄でDJ(この時点では彼女はいない)」を目指していました。

そして「ターンテーブルを修理出来るようになれる気がする」と県立の機械科を推薦入試で合格してしまい、ここの選択は今振り返っても本当に謎です。

結果的に、中学では人の上に立つこととやってみると意外に出来るという自信を身につけました。

DJから魚屋になった高校時代

高校入学式で瞬間衝撃が訪れました、それは「女子がいない」こと。

まぁ当然ですが工業系なので一般常識から考えたら驚くものでもないですが、当時の僕はそれほど何も考えずに行動していたのがよくわかります。

DJを目指すかと思いきやJUMP漫画“ホイッスル”の影響でサッカー部に入部して、高校からサッカー部に入るという無謀なチャレンジをしています。

そんな超軽い動機なので1年程度ですぐに退部「16秒60秒」というグラウンドを16秒で全力で走り、60秒で戻って一人でも遅れたらセット数が増加するという超ハードな練習が今でもトラウマ。

退部の理由はDJを目指す。

顧問に「もう少し現実を見ろ」と言われたのを今でも思い出します。(ここは先生が正解)そして、見事ターンテーブルを購入、高校生にしては高額な16万円をローン支払い。

ここららどうなったかというとローンの返済をする為に始めたスーパーの鮮魚コーナーのバイト。

週6日、5時間というハードなシフトを組まされ毎日22:00過ぎにバイトを終えてそこから10km以上を自転車で帰る日々を繰り返しターンテーブルはほとんど触らないまま弟にプレゼントすることに。

…高校時代は自分の意思決定で結果が変わることを学びました、このあたりから少しずつ考えることを体当たりで覚えてきます。

ブラック企業人生が幕を開けた専門学校時代_入学編

急に話が専門学校になりましたが、僕は高校を出て美術系の専門学校に行っています。

もうこの時点で高校時代までと繋がらなくなっていますが、そこに至った経緯は、高校が工業系だったので周りはメーカーにすぐ就職していくわけです。違和感を感じたというか、個人的に鋳造や旋盤というのが楽しいとは思わなかった。

自分なりに将来を考えてみると「絵はずっと描いていて好きだった」とイラストで食べていくことがやりたいと進路の舵をイラストに変更しています。

ただ高校三年のそのタイミングでまさかの弟(18歳差!)が誕生し、進路に影響がでます。両親へ専門学校を希望するとお金がないと言われてしまいまさかの却下。

現実を知らないというかお金の話などしたことがなかった僕は、勝手に“本当はお金はあるはず”と思い込みさらに強くお願いしても結果は同じ。

その時に母が涙を流したのは今でも辛い思い出で、このあたりの経験でお金に対するコンプレックスが生まれたと思います。

こういった経緯で、始めて自分の家には貯えが無い事を知り現実にぶつかった気がしました。

その時はただ、「なんとかなるよ」と虚勢でその場を去ったのを覚えています。当時は2002年インターネットもそこまで普及しているわけではなく当然スマホも無いので、本屋でお金が無くても進学が出来る方法はないかと、探して見つけたのが「新聞奨学生」でした。

…ただそこから大きな試練が待ち受けていました。

この段階で自分はリスクを感じながら思った方を選択する覚悟を学んだと思います。

ブラック企業人生が幕を開けた専門学校時代_新聞奨学生編

新聞奨学生のイメージってなかなか無いと思いますが、要は学費を出してやるから代わりに学生時代を新聞配達と集金(契約による)に捧げなさいという対価を求められるシステム。

ただこのあたりは新聞会社や配属される代理店によってクオリティがまちまちでかなりピンキリだと思います。

僕が配属になったのはおそらく”下の中”くらいで相当酷かった部類でした。

なぜ”下の下”では無いかというのは当時比較対象の別エリアの代理店の話を聞いた際に、かなりパワハラが横行した代理店があり業務負荷が大きすぎて学校もままならないという話を聞いたから。

ただ僕のとこもだいぶ酷かったのは変わらない、まず寮と言われる家は”鍵無し”の長屋みたいなところ、鍵がないことが衝撃。

そして同居人がいるという点、中国人1名と別の専門学校生1名の計3名での共同生活、部屋は四畳半でこれも鍵無し。

仕事は毎日朝3時に起きて7時くらいまでは配達、その後は少し休んで学校へ行く。

学校が終わればすぐに戻り16時くらいから夕刊の配達、その夕刊の配達が終われば集金、そして次の日のチラシの折り込み…。

だいたい家に戻れるのが21時を過ぎるので睡眠時間は当時4〜5時間くらい。さらに休みは二ヶ月に1日という完全に今だとアウトな労働条件でした。

このままでは就活も出来ないし学校どころではないと思い、1年を区切りに通常の奨学金を残りの分借りることで新聞奨学生は卒業。

ほぼクラスメイトと交流もなく、就活の情報量も圧倒的に不足していたので半周遅れくらいのイメージで就活をスタート。

この1年間は人生36年の中でもストレスのレベルがかなり高い時期、ハードワークに折れそうになったのを支えたのは「自分はすごいやつになれるはず」という思い込み、それだけを考えて乗り越えました。

家族はいつでも戻ってこいと優しい言葉をかけてくれましたが甘えたら”全てが無駄になる”とどこかで考えていて、この時期に見えない未来に対して、自分で勝手に希望をつくりだす力を身につけた気がします。

ブラック企業人生が幕を開けた専門学校時代_就活編

新聞奨学生に区切りをつけ、その時に貯めた貯金を使い初めての一人暮らしをスタート。ようやく人並みの生活ができる気がしていました。

美術系の専門学校だったので、基本は二年になったらデザイン会社などの企業へインターンに行くことが推奨されていました。

僕もその流れで色々な企業を見ながら単純に最初に決まった受け入れ先に行くことに。

この時点では”デザイン会社”はどこも、そこまでの違いなどはないと思ったこと、新聞奨学生という名の奴隷制度を終えイラストレーターやフォトショップ(デザインの編集ソフトウェア)を使ってお金をもらう仕事につくことが単純にかっこいいと考えていました。

しかし、蓋を開けたら徹夜続きの純粋なブラック企業で「社会はこういうものなのか」と少し諦めを覚えた時期でした。

業界の性質的に仕方がない部分もありましたが、インターンも即戦力化され、チラシ製作のルーチンに組み込まれると社員と同等の働きが求められていました。

結果的にインターンなのに徹夜続きで朝方に帰ることがほとんど。

当時先輩にあたる社員の方に正社員になれば収入は上げられるのか聞いたところ「社保などが引かれるから手取りで12万円(インターンの時給より低くなる)だよ」と聞いて絶望しました。

だいたいのクラスメイトがインターン先で就職をしていく中、僕はそこにそのまま留まることに疑問が拭えず卒業と同時にインターンを終了し無職に。

その時に手元にあったのはインターンとバイトで貯めた40万円。

時間が少し出来て、ふと小さな頃からなんとなく憧れていた”東京”のことを思い出し、当時東京の大学に進んでいた中学時代の友人に軽い気持ち(一週間程度遊びに行くつもり)で連絡をとり貯金を種に初めて自分の意思で東京に行くことになりました。

この時はまだ東京が「異世界」だと思えるくらい別世界の感覚で、本当に漫画やドラマみたいな世界があるのではないかと妄想するレベルでした。

この時、節約して自分の将来の可能性を広げるためにお金が必要になるということを肌感覚で感じたこと、この貯金がなければ選択肢がなかったことなどを学びました。そして東京へ!

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