難航する初めての自力転職活動
起業の「失敗」を認め、自分の考えをもう一度整理することになりました。
仲間を置いてきたような感覚で、しばらくはモヤモヤしていましたがぼくだけ職種が違いキャリアをリセットできなかった。
だから、その思いをもう一度整理しようとしました。
モレスキンにマインドマップを描きまくり、ストレングスファインダーで傾向を知る。
自分を知るという重要性を理解していきます。
ここでわかったことは「人事」への関心は相変わらず高いことでした。
そして「人との共感」がぼくの価値観の根っこにあったようです。
改めて人事のキャリアを積むことができる環境を探していくことになります。
気持ちの整理はついて方向も見つけられたものの、世の中そんなに甘くありません。
実質初めて自分で転職活動する今回は、すべて初めて。多分というかぼくは自分のことを過大評価していました。
前職のコールセンターでの実績はボリュームや処理能力こそ求められるものの、キャリア、年齢、転職回数という条件が重なってくると相対的に不利になります。
あと、学校でしっかり勉強をしていなかったことも影響しSPIが大の苦手ということがわかりました。
ぼくは面接はしていましたが、転職初心者そのもので世の中からの評価の低さにへこみました。
こんな力でこの間まで”役員”だとか言っていた自分が切なくなります。
紹介会社の乱打乱打乱打!
身をもって人事としての市場価値の低さを体感したぼくは、使えるものは使いまくろうと紹介会社を10社くらい登録します。
もう、無数に求人が届く届く。
そして落ち続ける毎日です、心が折れないわけがない。(実際は折れませんが)人材ビジネスに問題があると考えるようになった原体験がこれですが、確率論でぶん投げてくる求人を素人が選べるわけもなく。
毎日50個くらいの求人を「無作為か」と思うほど送られてきました。
ただ贅沢を言うわけにもいかないですし、実際お金にならない求職者の扱いの酷さを体験して自分の立場を理解するようになっていきます。
ただインテリジェンス(現パーソルキャリア)の担当さんだけは、めちゃめちゃ丁寧にしかも身を削ってフォローしてくれました。
仕事の芯があり、ぼくは初めてそう言う立派な方と会ったのでこう言う人になりたいと思いモチベーションが勝手に上がっていました。
10社前後申請しても最終的に機能するのは2、3社でした。そのインテリジェンスともう一社の企業が、”細かく”対応してくれていました。
そして社名は出しませんが、ある紹介会社が紹介してきた案件について電話が入ってきました。
「葬儀業界は選択肢にありますか?」
そもそも紹介会社から電話で求人を紹介することが少なく、ピンポイントな話だったので少し興味を持ちました。
葬儀業界自体にそこまで悪いイメージはもっていませんでしたが、「なんとなく暗そう」と言うぼんやり考えていました。
人材紹介エージェントの嘘
数値化するのが好きだったぼくは、求人応募から面接の確率などをエクセルで管理していました。
葬儀会社を紹介された時期は、面接までたどり着ける確率の低さを体感していたので「面接の話」がきただけで嬉しかったです。
そうは言いつつ、確率の世界なので面接ラッシュを繰り返していたぼくは縁故も含めて4社くらいの内定を保有できていた時期でもあり、内定をリリースするかどこかに決めるかという状況の節目でした。
一次は人事の責任者の方で、その時は入社して1年くらいとのことで一緒に変えていこうというスタンスのとても好感が持てました。
二次面接は役員と管理部長の2対1で、「若造が」というどこか威圧感のある面接で緊張したものの合格。
トントン拍子で進んだ面接は、ここで内定の予定でした。
しかし人事は大事だからという理由で社長面接が入ることに。
社長は会っておきたいという気持ちと、ぼくも少し就活に慣れて自分を試してみようという感覚になっていました。
かなり圧迫面接だったのですが、無事内定をもらえました。
ぼくはエージェントの通知と説得を受けて、内定の保有中で一番堅そうな会社として葬儀会社を選びました。
ただ、エージェントが事実を隠して入社させていたことが後からわかりました。
おくりびと生活とブラック老舗企業
この企業は何十年以上黒字という驚異的な体質で、業界的な下調べの中でも優秀な業界だったので選んだのです。
老舗企業には長年の染み込んだ独特の文化があります。
ある意味会社は一つ一つ国みたいに違うなと実感するほどこれまでのベンチャー企業とは違いがありました。
何が違うかというと、業界的にそういう仕組みですが仕事が入ってくるのです。だから基本的には待ちの状態。
「そりゃ続くわ」
基盤の頑丈さを実感すると、選択は間違っていなかったように思いました。
思っただけでした。
そこには”オーナー企業”の独特な世界がありました。
いわゆる王様です。
入社して間も無くその実態を知ることになります。
ぼくの少し後に、管理部長が鳴り物入りで大歓迎され入社しました。社宅も豪華な近隣の家を手配され歓迎会を終え滑り出しは順調に見えました。
その方は単身赴任をしてまで入社していました。
その管理部長は、もともと難航していたプロジェクトを担当するのですが、誰も協力しない中さらに難航し1ヶ月前後で社長の態度が急変します。
そして、まさかの管理部長から降格人事。
あまりの出来事に信じられない、というか信じたくない状況でした。
「またか」
頭によぎったのは過去の失敗体験。そして、イベントはこれだけでは終わらなかったのです。
次はぼくが入社の理由の一つにしていた最初に面接してくれた人事の上司が現場へ飛ばされます。
現場というのは葬儀式場の運営と互助会の営業です。人事とは全く無関係。
そうこうしている間に最初に降格させられた管理部長が退職&訴訟に踏み切ります。訴えられたのは経営者でした。
何かがおかしい、この一連の流れに危機感を覚えました。
「次はぼくなのでは?」
恐怖を感じたぼくは、過去の人事ファイルをすべて見返してみました。すると驚愕の事実がそこには隠されていました。
降格した管理部長、飛ばされた人事の上司。その過去の前任者も別部署に飛ばされていたのです。そして何人か精神を病むまでになっていました。
戦慄しました。
どうやら少しでも気に入らないと、キャリアなど関係なしに好き勝手に人事異動をする恐怖のトップマネジメントがこの企業の根っこにありました。
予想は的中し、ぼくの番がきました。
夜勤シフトによるおくりびと業務(お亡くなりになった方の病院へ最初に行き葬儀式場に移動するお仕事です)
多くの方が霊的なものをみたりかなり特殊な仕事なので、求人を出しても集まりにくい職種なので社内の人材を使ったのです。
ここでは内容は伏せますが、色々な最後を迎えている方をお見送りする仕事は大変意義があり価値観が少し変わるくらいの影響力があったのでこの経験は別の機会に書きたいと思います。
という感じで仕事自体はそこまで嫌ではなかったのですが勤務がアウトでした。
36時間勤務
労基署も驚きです、1日人事を日中してよる少し仮眠をとって夜勤を行うそして翌日また人事。この繰り返し。
こんなのは労基云々の前に入社前の条件には一切入っていなかった情報。
仮眠といっても病院からの電話はランダム、一睡もできない夜もあります。
そんな状態でしっかり休めるはずもなく、呼び出しがかかれば”ぶっ飛ばして”行かなければ間に合わないようなスケジュール。
ようやく終えて帰れると思ったら、そのまま次の現場に。
ぼくは一度物損でしたが事故に遭いました。
これは気合とかそういう話ではない。正直体力と精神両方擦り切れていましたし本気で「またか」と絶望に近い感覚になっていました。
状況を相談したいと思い、倒産した企業の時の人事部長を頼り連絡をとってみました。
すると、倒産の後に務めている企業で「一緒にやらないか」という誘いがありました。ぼくは迷わず話を聞くことにしました。
そしてこれまでの失敗経験を活かすことなく話を進めていきます。
葬儀会社の話はここまで、次のその企業に内定が出て飛び移るような感覚で転職をしました。
ここからが本当のブラック企業の深淵。
さらに深みに自らはまっていきます。(自分で書いてて笑えてきます)