茶番あふれる世の中にある本質をMBA人事と見抜く

ほんしつめがね

プロフィール

上京して16年でヘッドハンティングされるまで_起業人事編_前半

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起業前夜

企業でのフラストレーションが一定以上になると、人は耐えられずに退職をするか残ったとしても、モチベーションが下がって能力が最大限発揮できなくなります。

ぼくが起業に誘われる前の状態はそういう状況でした。

退職を考えた場合は、そこから自分の能力や価値観など棚卸を急遽することになるので、そこで現実が初めて見えてくるモノだと思います。

僕の場合は後者の状態だったと思います。

「嫌で嫌で1秒でも早く辞めてしまいたい」

そんな気持ちではなく、

「もっと評価されて、成長することができる場所があるはず」

みたいなことを考えていたと思います。

実際に周囲には、自分よりも年下が多くて、考え方や働き方を尊敬できる方はおらず自分の目指すような憧れの対象は見つけることができませんでした。

結果起業の前に勤めていたコールセンターの終盤では、会社というものに答えを見出せず、自分の生き方がもっと何かないのか?

と、本を漁り投資や投機について学び60冊以上を読んでいました。

そんな中で、起業に誘ってくれたAさん(仮称)は、投機投資の先輩でありすでに多くの経験を積んでいたので、サラリーマンでありながら会社にとらわれない自由さを持った方でした。

ぼくはそういう類の人と初めて話をして、尊敬するようになっていきます。

思い込みのバイアス

今もそうですが、ぼくは何かにエネルギーを注がなければ生きがいを感じられない性質を持っているようです。

マグロみたいなイメージでしょうか?止まると死ぬみたいな。

投機・投資は本での勉強や実践はそのAさんのアドバイスをもとに少しやってみましたが、結果的にはぼくには合いませんでした。

というよりも、なんとなく20代にやることじゃないと感覚的に思っていました。あと性格的に勝率が低かった…

そんな絡みがあってか交友関係が深まり、ぼくは尊敬の念を抱きある意味盲信していました。


そして、起業の話が持ちかけられました。


ぼくは素直に嬉しかったです。

業種は同じようなものを独立してやっていくというもので、経験を生かすことができるし、Aさんはスーパーがつくほどの営業センス。

ぼくも営業と人事には自信があったから鬼に金棒のような感覚です。

さらに、そのひとの周りには仲間がおり戦力になる現役のメンバーもついてくるというのです。

「これはいける」

成功できることを肌で感じていました。

ぼくは人事のキャリアを高めていきたかったから、そこは考えを伝えてAさんも納得し起動に乗り次第人事というか、役員をお願いすると言われのぼせていました。

”起業熱”という言葉があるように、起業を目指す人が一度はかかるのではないかという症状。もちろん冷静な方もいますが。

まさにぼくもそれにこの瞬間からかかっていました。

役員になる

自慢できるくらいの高い年収

自分らしい人生が送れる

なんとも浅はかな思い込みがぼくの当時を支配していました。

「大丈夫」

なんの根拠もない自信と勢いでコールセンターの人事へ辞表を出し

意気揚々と自分が理想とする採用ができる会社をみんなと作るんだ!

という熱意が動かしていたのと、半分変えられない会社から逃げた自分

そういう感覚を覚えながらまた、起業準備という無職になりました。

憧れの経営者

成功が約束された起業の話を受けたらどうなるか、ぼくが当時体験していたのはそういう感覚だと思います。

そして無責任だった、経営者となるAさんが考えた計画に乗っかっていただけのような状態で自分も経営者のような感覚になっていました。

起業準備をしている間は、最初に辞めたAさんとその次に合流したぼくともう一人の三人で起業について調べたり、出資者にあったりしていました。

そもそも、この起業計画の発端になっていたのは”出資者”の存在があります。

そうです、出資とは起業に対して資金を投資してくれるひとのこと。この計画に信ぴょう性が高かったのと自分が浮かれていた理由にもなります。

前職ではほぼ最強クラスの営業マンと、敏腕経営者の出資者。この二人が企んでスタートしたのがこの話の発端でした。

だから憧れたし、その経営者からも色々学びながら仕事に全力で取り組むことができる。とある意味目標を持つことができていました。

僕たちは三人でその出資者の家に行くことになりました。

そこまでは話でしか聞いていなかった”すごい人”に実際に会うというのは緊張しました。

出資者の家は有名経営者も住むという億ションでとても広い部屋でした。

更に偶然そこには、その経営者がすでに出資しているという門下生が数名いて色々と話を聞くことができました。

そのあとは一緒に高級車で外出したりホームパーティーをしたりと終電ギリギリまで滞在し、僕たちはなんだか成功者の仲間入りをしたような感覚でした。

テンションが上がった三人は、そのまま一人の家に泊まりつつ起業の計画について語りながら熱が冷めない感覚でほぼ朝まで話していました。

軽率な行動と計画

そうした熱に浮かされた状態のまま、起業するための準備という役割分担をして登記まで進むことになります。

税理士など必要な”先生”は出資者の方が紹介してくれていて、その方達のアドバイスも受けながら少し忙しくなってきたのが、起業の現実味を帯びさせていました。

ぼくは企業名を考える担当でもあったので、投資だと考えて自分の貯金をかなり使いながら2万円もするネーミングの本を買ったりしてかなり考え抜いていました。

この時ぼくが生活できたりある程度安定できていたのは、営業時代にコツコツと貯めていたお金が少しばかりあったのでそれを切り崩していました。

しかし、ある時事態が急変します。

「出資者が話を降りた」

Aさんが顔色を悪くしていました、何度も電話をして話していましたが結果は同じようでした。

細かい理由は教えてもらえなかったのですが、どうやら信用が無くなったというものでした。

Aさんとぼくたち二人は呆然としていました。

ぼくの中では、この段階で大きく計画が崩れていて、このとき初めて複数のリスクがこの話には潜んでいたと考えることになります。

出資者の存在は、立ち上げまでにかかるランニングコストや初期費用、そもそもの経営のノウハウなども含めて協力体制があって初めて成立する話だったので、素人三人になったも同然でした。

そうは言っても計画に参加する予定のメンバーは、他にもいたので正直止めることが難しかったのでしょう、なんとか既定路線というか当初予定していた通りに進めようと、なぜか動いていました。

この段階で自分の無計画さを理解して進路を整理するべきだったと思います。

難しい軌道修正

ぼくは信じた自分のことを信じたかった。

これは今でも持っている信念ですが、この時はこれがバイアスとなり悪い情報を深く考えるのを妨げていました。

現実的には資金がゼロ、計画は白紙になるべきでしたが全員なぜかその方向に進み続けます。ぼくも少しばかりあった貯金を全部あげて少しのランニングコストになるのではとか考えていました。

そう思わせていたのは、将来のサクセスストーリーの一部みたいなものの今は苦しい時なんだと妙にポジティブだったのです。

お金を出すことは結局せずに終わりましたが、それくらい全ての出来事を無理やりポジティブに乗り越えようとする危険な思想になっていました。

ぼくも知り合いなどにあたり、ある企業がそう言った計画を持った個人をサポートしているという情報を得ました。ようはフランチャイズのようなものですが、出資する代わりに傘下に納めて、代理店を増やすというビジネスモデルです。

Aさんはその話を気に入り、そのまま契約を進めていき、僕たちはその時点では、Aさんから話を聞く側になっていました。

この時ぼくははテンションやモチベーションはほとんど消えかけていて、正直なところ将来への不安と自分の浅はかさへ怒りを覚えて常に反省していました。



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