代理店フランチャイズへの軌道修正
人間はなかなか、自分の失敗を認めない生き物だと思います。
当時のぼくたちも同じように明らかな失敗を犯しているにも関わらず、認めようとしていませんでした。
事業計画の柱であった”出資者”がいなくなった。
それだけで十分に無計画さや自分たちの浅はかな行動に気づけると思うのですが、人間追い詰められると考えが冷静ではなくなるものです。
ぼくたちはそのままなんとか軌道修正を図ろうと、知り合いのつてをたどり立ち上げをサポートしてくれる企業に出会いました。
基本的には独立支援をしているパッケージの契約形態で、発起人のAさんはあまり迷うことなく契約を進めていました。
ぼくたちはその企業に丁稚奉公的に、アルバイトとして1、2ヶ月勉強のために仕事をするという流れになりました。
普通にアルバイトとしてコールセンター業務を過ごす日々。
なんとも言えない感覚で、何をやっているんだろう?と考える毎日でした。
勉強の期間が終わり、事務所を改めて借りることになりました。
これは少し楽しかったというか、これまでは企業の中でしか経験していなかった事務所の立ち上げを自分たちだけでやるというのは、少し当初の目標に近づいていたような感覚でした。
オンボロ事務所の立ち上げ
借りれた事務所は、ある企業のロッカールームだった場所。事務所と呼ぶにはかなりきつい環境でした。
時期は夏だったのですが、空調はなく窓も開けられないのでサウナよりも熱くるるしい事務所。見学に来た保険会社の担当は顔を歪めていました。
お金は当然ないので、電話機などは借りれるものなど工夫してかなり古いスペックの機種をセット。
こういう経験をしたおかげで、会社の備品や什器のありがたさを感じることができました。
契約した企業のサポートもあってなんとか事務所らしい状態にすることができました。
この段階でAさんを慕って参加していたメンバーも全て合流していて全員で7名くらいの規模になっていました。
不安と自分の将来
代理店としての体裁は整い集まったメンバーは、今までと同じ仕事を事務所を変えて行うだけ。
そこまで環境が変わった訳ではありません。
一方ぼくは違いました、人事として召集されて(立ち上げに人事は必要ないですが)企業の経営を学びながらバリバリと仕事をするつもりだったのです。
結果蓋を開けたら半年間以上アルバイトと同じ仕事内容。
つまりただのアポインターとして働いていました。
当初のバタバタがあって立て直すことに必死で仕方がなかったものの、当初思い描いていた状況とは根本的に違います。
そして、もう一つそのバタバタ立て直しの最中にAさんの性格や仕事の進め方に疑問が生まれてきていました。
こうなったことは全部自分のせいだとも考えていたので、どうにかしようと考えていましたが今ひとつ答えが出ません。
そして、本当の自転車操業だったのでいつ資金が尽きてもおかしくはありませんでした。このことを考えると不安がさらに大きくなりました。
ぼくは辞めることをAさんに告げました。
自分の人事としての仕事はここにはなく、当初の計画も破綻している。
良い仲間だと思っていた創業者には考え方に疑問が残りました。
この状態で自分の命を預けて全力で乗り越えた先はぼくには見えなかった。
とても気持ちの中で残念な思いが強かったのを覚えています。自分の成功体験になるはずだった起業のトラブルもこの時点では見事な失敗体験。
Aさんは申し訳ないという感じで揉めたりもせずにわかれることになりました。
生活を切り詰めていたぼくは、またしても窮地の就職活動を行うことになります。
頭をできるだけ切り替えて、何がしたかったかを整理していきました。