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ほんしつめがね

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上京して16年でヘッドハンティングされるまで_グラフィックデザイナー編

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三軒茶屋が東京のスタートライン

表参道のデザイン会社から、ほぼ奇跡的なタイミングでの内定をもらって、ついに東京の生活をスタートすることになりました。

東京には1週間程度遊んだり見学で帰るつもりで来ていたのに、その流れで就活をしてまさかの内定までとれたのは自分でも当時驚いていました。

ただ冷静に振り返るとノープランで動き過ぎていたと、もしも福岡に帰ることになっていたらと考えるとゾッとします。

上司になる強面の40代くらいのディレクター(デザインの監督)からは、内定の時に言われたことが「東京に住めるのか?」「住むなら三茶にしろ」と半分条件みたいなことを言われたので、特に疑問も持たず”三軒茶屋”の不動産屋へ。

初めての一人暮らし、初めての東京で、会社は表参道で自宅は三茶という文字情報だけであれば相当良い感じの社会人生活がスタートした気がしました。

三茶は渋谷と下北沢が近いやや高級な住宅街とあって物件は高く、僕の出せる家賃は最大で6万くらいが目安です。

そうなるとほぼ選択肢は限られてくるので、家探しはすぐに6万5千円のボロアパートに決定しました。

お風呂はバランス釜で、築は50年以上洗濯機を置けるスペースはなかったのでコインランドリーで洗濯することが最初から決まっていました。

ただ、福岡の家賃4万円から考えると2万5千円もアップしているので、東京の価格の高さを初めて感じた瞬間だったと思います。

表参道へ出社する駆け出しデザイナーの毎日

初仕事は何だったかは覚えていませんが、とにかく緊張していた気がします。デザイナーの駆け出しが何をやっていたかというと、デザインの元となる素材探しが最初は中心でした。

今では想像もできないと思いますが、15年前といえばグーグルが出た初期でネットの世界もそこまで広くなかった時代。

デザインに使う写真なんかは洋書屋に行って手当たり次第調べ尽くして、素材になりそうなものを見つけるというとんでもないアナログ作業をしていました。

この作業は1日中洋書屋や今でもある青山ブックセンターなどを中心に、写真集やアート集などを調べ尽くすという感じです。

その次にやっていた仕事は写真の加工など少しずつ仕事を覚えていきながら、高い東京青山の昼食代を払いつつ生活を切り詰めていました。

徹夜と戦力化

職業柄これは仕方がないことですが、ほぼ深夜にタクシーで帰宅というのが日常でした。

その為22時くらいには近くの中華屋に晩御飯を食べに行くという少し変わった生活で、そこから戻って1時〜2時くらいまで作業を続ける感じです。

面接をしてくれた当時の2人の上司と3人チームだったので、誰かが先に帰るとかはなく基本的に連帯行動。

当然経験値も貯まり出来ることも増え最初の雑用は卒業し商品のカタログやブツ撮りなど、センスを求められる仕事をする機会にも恵まれて仕事は楽しいと感じることが多くなった時期でもありました。

上司の事件と不安

当時、強面の上司とは家も近くて週末は遊んだりする中で結構面倒は見てもらっていたと思います。

「こいつ全然使えねぇ」と隣の段ボールを蹴られたりした初期は震え上がったのと、ものすごくへこんで机に顔を突っ伏していたのをこの記事を書きながら思い出しました。

ある日、会社の飲み会があって全社員で大いに盛り上がり、僕も初めての飲み会で楽しい気分になったのと、自分でお酒を飲む週間もなかったのでお酒を飲みながら大人の仲間になった気がしました。

しかし、事件はその日に起きました。

電車で帰ろうとした僕は、会社の方に「お前の上司来るからここで待ってな」とタクシー代だけ渡されて車道に面した通りでタクシーが何台も通り過ぎるのを見ながら、強面の上司が来るのを待っていました。

20分くらいの時間が経ち、ようやく上司が現れましたが、何とそこに現れた上司は血まみれ。どうしたのかというか状況が掴めないまま上司は僕が待っていたのを見て冷静になったのか

「あいつ死ぬから、病院に連れて行こう」

と言い、路地裏に入るとさっきまで一緒に飲んでいた社員が血まみれで横に倒れていました。

後から聞いた話だとお酒の勢いもあって仕事のことで絡んできた社員に対してカッとなって動かなくなるまで殴り続けたとのことでした。

意外と冷静に病院に運ぶ自分もいましたが、ここでは表現が出来ないくらいに凄惨な状態で医者からもかなり怒鳴られていたのを覚えています。

あの時待っていなかったら本当に危険な事になっていたかもしれない、もしかするとそのまま帰っていたのかと考えると急に隣にいた上司が得体の知れない「何か」に変わるような感覚を覚えました。

その後、主力級の上司の処遇は金銭的なペナルティだけであとは何も変わらない日常が戻ってきたのでした。

「得体の知れない何か」に変わった上司は僕にとっては違和感が消えず、”普通に一緒にいること”・”処罰が軽い会社”、今まで疑うことがあまりなかった環境に初めて疑問を持つようになりました。

無知な22歳と無謀な退職

上京したのは「絵で食べたい」という思いがまずあったことは事実でした、上司の事件から程なく主力級のデザイナーが参画したことで社内のバランスはガラリと変わり僕はその新しいデザイナーの元で働くことになっていました。

ただ、もうその時点では気持ちは会社から離れつつあって、自分の時間をつくること、生活の為に収入を上げることという現状の環境では実現させることが難しい欲求を持つようになっていました。

この時は「信じられなくなった」という思いがベースにあって、その上で自分が何をしたいかを考えた末、「時間と収入の改善につながる仕事」という仮説にたどり着いていたのです。

正直あまり社会も知らない状態で、相変わらずの直感を頼りにあてにしていた会社にこっそりと内定をもらっていました。

その切り札を自信に上司に退職を切り出して、社長や取締役の方が善意で止めてくれていたのを振り切り退職しました。この時のことはしばらく自分の中で反省し続けることになります。

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