茶番あふれる世の中にある本質をMBA人事と見抜く

ほんしつめがね

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上京して16年でヘッドハンティングされるまで_コールセンター人事編

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倒産後に拾われた会社での転機

会社が倒産したと言う出来事は、当時実はそこまで重く受け止めていませんでした。

それは年齢以上の給与を得られていたことと、立場も課長職だったので自信があったのか”どうにかなる”と楽観視していました。

当時管理部でメンバーだったスタッフの方もみんな同じ状況だったので、自分と同じく引き受けられるかと確認して、希望者の数名のアルバイトの方も一緒に連れて行く形になりました。

倒産した後は、競合企業による救済措置の流れに身を任せて、ある程度すぐに転職先が決まりました。(この時点で就活につまづいた人もいましたが、結果的にその方が僕にとっても良かったのかもしれません)

そして、せっかくなら自分の為に時間を使おうと旅行に出たりして、「どういう企業なのか」、「どういう仕事を任せられるのか」、「組織は」、「企業のカラー」はという下調べをせず、紹介された方の話を鵜呑みにしていました。

「楽観視」ここが学んでいないところだったなと今でも感じます。まさにこの時は良い情報しか得ようとしていない、ある意味自分のそうだったらいいなというバイアスが全ての情報にかかっていたのだと思います。

転職で痛い目を見ても時間が経ったりすると忘れるようです。

上場目的の保険コールセンター

保険の営業コールセンターは今ではTVのCMなどでも大手が出ていたりイメージしやすいですが、当時はそこまで認知された存在ではなかった気がします。

僕自身は同業からの転職だったので業務内容などもすぐに理解できました、しかし採用のスピードや成長速度が全く異なっていました。

企業としては代表などの”思惑”もあり、上場を目指していました。「上場」という言葉は今も少しは効果はありますが、当時はブラック企業全盛期。

求職者は「上場」していれば第三者の目から、多少なりともホワイトではないかと考えていた気がしますし、少なくとも僕もそう考えていました。

結果的にそうした大義名分があるので、人は集まるしお金も集まる恵比寿の一等地にオフィスを構えるまで急成長していきました。使わないバーまで作るほどに。

そんな中で、僕は前職の最後は管理業務を中心に行っていましたが、その業務がそこまで新しい環境では求められていませんでした。

この時に、他社では「意味ないスキルがある」ということを学びます。

おそらくただの人材難だったのだと思いますが、”情報システム”の部署の立ち上げに任命されます。何をするかはさっぱりイメージが出来ていません。

効率の悪さでブラックな情報システム部誕生

前提を説明しますと、当時の保険代理店のコールセンターは、ビジネスモデル(利益の生まれる構造)的に「何席確保出来たか」でお金を一定額売り上げとは別にもらうことが出来ていました。(今は不明)

結論、場所を借りて人を雇えば雇うほど代理店は儲かるという、非常にわかりやすい構造だったのです。

(これは事業が順調な時は良いですが、逆境に立たされた際、その膨れた組織や抱えすぎた人材はリスクです。経営に困り保険事業を譲渡することになっている企業もあります)

話を戻し、僕が情報システムになったのは、そういう背景からバンバン出来る事務所の立ち上げやリストのデータ管理という、要は「何でも屋」になったのでした。

もともと立ち上げでいた前任の方は、どうやら効率が良くなかったみたいで色々な作業が立て込んでいました。

そういうのを一つずつ解消していくと社内での信頼が上がり、一つまた一つと作業が増えていき気づいたら「尻拭い担当」に。

いたちごっこみたいで「これは効率が悪い」と、責任者の交代を申し出て自分一人が責任者になって現場でチームを回す役割を担いました。

思い出に残っている作業は、

・徹夜で電話帳のリストデータ精査をして、チームメイトがキーボードを打ちながら寝ていたこと
・200個のPCの段ボール開梱からセッティングまでを、マウス無しで一晩でやったこと
・凍えるサーバールームで、ひたすらデータの確認を行って風邪をひいたこと

今考えるとここで、数字ではなくて「仕事を終わらせないと帰れない」という世界を知った気がします。

そしてその仕事は適量ではなく、発生次第対処する場当たり的なものだったので処理能力だけがひたすら上がり続けました。

そして人事への移動と、また課長への昇格

1年くらい経った時期か、そのとき例の前任者は情報システムを異動し人事で採用を担当していました。

しかし、そこでも人間関係と仕事をセットでこじらせており問題になっていました。

そこで、以前から人事がやりたいとことあるごとに言っていたのでどうやらその言葉が社長にも届いていた様子。

トイレで偶然社長と並ぶ感じになった際に、「お前人事やりたいの?」と聞かれ”はい”という返事をしました。

これは、もしかすると…と期待していると案の定、前任者の尻拭いをする形でまた入れ替え。理由はどうあれ晴れて興味のあった人事にキャリアを変えることが出来ました。

僕はここで初めて自分の意思と興味で、仕事を選ぶということを経験しました。この時に考えていたのはシンプルに「人の役に立ちたい」という思いでした。というか人事はそういうものだと倒産の時の経験だけが強く残っていました。

こんなに採用するのかと思う程の大量採用

人を雇えばお金が儲かる、そういう仕組みだったので常に人が足りないような感じで募集が止まることはありませんでした。

どのくらいの採用ボリュームかというと、新卒を年間300人、アルバイトは月間50人というものでこれを二人で対応していました。

アルバイトの面接はセミナー形式で大量の方と話して、コールセンターの業務に合う方をひたすら見極めて行くことの繰り返し。

新卒はセミナーから最終選考までの複数の選考ステップを調整し、二次選考や時には最終選考を担当していました。

多分どこの採用担当もある程度は同じ作業内容だと思いますが、電話やメール、面接の数が圧倒的に多かったと思います。

そのおかげでか普通よりも処理能力や人を見る力が上がる速度も比例していたと思います。いつも人事の集まりなどでボリュームの話をすると驚かれていました。

派手なことが好きだった会社なので入社式は六本木ヒルズ、そういう準備も当然僕らがやっていき、なんと感動してもらう演出の為に新卒の両親から手紙(手書き)を300人分も回収していたのです。

出してくれないご両親もいましたが、ほとんどは回収して当日は渡す演出とともにみんな大号泣で頑張った甲斐があったなと達成感がありました。

大量採用と大量離職で自分の存在意義を考える

新卒入社の春が何度か過ぎて行く中で、退職が増えていく時期に入りました。

最初の数年は仕事のボリュームの多さに、まさに忙殺されていたので気にする余裕がなかったのですが、業務に慣れて自分の能力が多少なりとも上がったことで少し周りをみる余裕が出ていました。

多くを採用しても多くが遅かれ早かれ辞めていく。このジレンマは人事ではあるあるかもしれませんが、僕は少し罪悪感のようなものを感じ始めていました。

上場するする詐欺

退職理由の多くは、コールセンターの仕事に合わないというものでした。

当時僕たち採用担当が自社の入社メリットとして伝えていたのは内勤営業であることと「上場する」という約束事でした。

上場会社を一緒に目指そうということはとても響きも良く、企業の青田買いみたいで新卒社員も期待して入社してくれていました。

実際働いている僕も入社する際に強く言われた内容だったので、そこを目指してモチベーションを維持していました。

しかし、いつまで経っても上場は実現しません。

申請自体はしていたようですが、何らかの理由で僕がいた期間だけでも二回は却下されていたのを覚えています。

時間が経つにつれて上場という言葉のパワーも弱まっていき、全体的に疑問の声が多くなっていきました。

十数年経った今でも上場していないので、これはもうその部分に関していえば、言葉はきついですが詐欺としか言いようがないと思います。

会社への不信感

全力で仕事をしていても、どこか大きな力が働き上場は達成することが出来ない。

でも採用する際には上場を謳うことでしかコールセンターには「良い人」が集まりにくい。

そういうサイクルの中で元気よく面接をして入社してもらって、元気が無くなって辞めていく姿を見ていくのが辛くなってきました。

僕は何をしているのか

人事である以上、会社に勤めている以上、託されたミッションはクリアしなければなりません。

しかし、そこに気持ちがついてこない…

辞めてしまうという理由だけではありませんが、そうした大量離職の横で上層部の一握りの方達はとても羽振りが良い。

その割には全員とまでは言いませんが、「数字数字」という画一的なマネジメントで、自分の引き出しの中で対応できなければ本人のせいにして”さようなら”です。

変わらない会社。

僕はそういった体質の会社に不信感を抱き始めました。

起業の誘い

そんな時期と重なってか、偶然起業の誘いが舞い込んできました。

誘ってくれたのは、倒産した会社で一緒に仕事をしていたらしい営業マン。(らしい、というのは接点が無く向こうが一方的にこちらを知っていたから)

その彼は倒産後ほどなくして、僕と同じ会社に救済され僕と同じくチームを率いて10名くらいで入社していました。

その手続きやら最初のフォローをしていく中で、その後投資の勉強など個人的な価値観の話をする機会が増えていました。

そして考え方や人間的なところを気に入ってもらっていたようでした。

僕は承認欲求がとても満たされたのを実感して選ばれたことでまた有頂天になっていました。

これも危険な選択だったことはすぐにわかることになります。

会社からは転勤を伴う異動の辞令が出たことも重なり、当時お付き合いしていた彼女(現在の妻)の同意も得られないし僕も全く気乗りしなかったので、退職を決意。

また、深く調べもせず「楽観視」して起業の話に乗ることになりました。当然うまくいくバイアスが働いているので悪い情報を拾おうとはしていなかったと思います。

周囲にもそういう形で起業していた者も、数名いたので現実味があったのは事実です。ある意味ベンチマークがありました。

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